西垣ぽん太のブログ

みんなの日記

運転免許

最近免許を取得した.非常に長い時間がかかったが,取ることができた.

 

わたしが自動車学校に通い出したのは3年前の秋あたりであった.免許が欲しい明確な理由はなかったが,とにかく取ったほうが良いと思ってしまったようである(この決断をひどく後悔することになった).

 

近くの自動車学校には通い始めたものの,自動車学校は想像以上に面白くないところだった.初回の座学の授業が終わったときにはすでに通い始めたことを後悔していた(初回の授業だけでも無料にしてくれれば申し込むことはなかっただろう).もちろん楽しいところだと期待するのがお門違いであるのだが,どこにも面白味を見出すことができず,こっそり本を読んだり,適当な妄想をして授業時間が終わるまで耐える,というふうにやり過ごすようになっていた.唯一の楽しみは帰りに自動車学校の最寄り駅にあるバッティングセンターに行くことだった.

 

何とか仮免許は取ることができたが,ここで満足してしまい,感染症が猛威をふるい始めたこともあって,まったくやる気を失ってしまった.数ヶ月いかなくなったあたりから,家にハガキが届きはじめた.ハガキには修了期限が迫っているから早く来たほうが良い,という旨が記されていた.一枚くらいきたところでわたしの心は動かされないが,三枚くらい催促のハガキがきたあたりで電話までかかってくるようになってしまい,完全に参ってしまった.まさか自動車学校で不登校を経験することになるとは思ってもいなかったが,ハガキや電話を無視し続けて学生の本分たる勉学に勤しんだ.

 

しかし,期限は期限である.夏が終わったあたりから,いよいよ行かねばならないという現実に目を背けることが難しくなっていた(両親にお金を出してもらった手前なんとしても卒業せねばならない,という信念は残っていた).もう期限まで残り一ヶ月くらいというあたりで観念して登校した.仮免許の試験を受けてから半年以上行っていなかったせいか,まわりの生徒と学籍番号が大幅にずれているのが恥ずかしかった.もっとも不安だったのは路上教習である.なんせ半年以上も自動車に触れいていなかったのだから路上に出る自信も能力もなかった.まずは,できそうなことから始めようと思って座学だけを全部受けた.心配だった路上教習はGAG福井になりきることで何とか乗り切ることができた.結局,修了期限まであと二、三日というところで無事卒業した.九ヶ月近く卒業に要したが,もう行かなくていいのだとそのときは非常に晴れ晴れした気持ちであった.

 

だが,自動車免許は自動車学校を卒業しただけでは取得できない(なぜなのだ?).卒業から一年以内に近くの免許センターに行って学科試験を受けねばならないのだ.まあ時間のあるときに行けば良いだろうと考えていたが,気付けば一年が経とうとしていた.再び免許と向き合わなくてはならなくなったのである.正直なところ,合格する自信がまったくなかったので受けようと思えなかった.道路標識やなんかはおおむね忘れていたし,自動車学校に行ったことがない人と大体同じような知識しかわたしには残っていなかったからである.しかし,これさえクリアすれば免許がもらえるのだ.期限ギリギリになって受験を決意し,午前中にチラチラ教科書を見てから免許センターに向かったが遅刻して受けられなかった.軽いショックを受けたが受付で一年間の期限が延長できることを教えてもらった.東京都で緊急事態宣言が出ていた期間だけ猶予が貰えたのである.貰えた猶予は約八ヶ月間だった.それなら急ぐことはない.また時間のあるときに行けばいいか,と明るい気持ちになった.

 

一年がすぐに経ってしまうのならば八ヶ月はもっとすぐである.自動車学校を卒業してからすでに二年近くが経とうとしていた.私よりだいぶ後に自動車学校に通い始めた友人から免許を取ったとの連絡があった.いよいよ本当に最後のデッドラインが迫っていたのである.このときには逆に免許のことなんかどうでも良くなってきてしまい,まあここまで粘ったなら取れなくてもいいか,という気運も高まっていたが,三年越しに免許が取れなかったことをお家の人に報告する勇気は持ち合わせていなかったので,また期限ギリギリに観念して免許センターに向かった.今回は無事に遅刻せずに試験場に入ることができた(受験生にタトゥーを入れている人が多かった,最近流行っているのだろうか).対策は,例によって午前中にパラパラ教科書を見ただけだったが,幸運なことに見たとこばかりが試験にでた.7割ぐらいの問題を解いたあたりで,これは受かるかもしれないと気づき,入念に見直しをした.そこそこ手応えがあったので合格しそうだなと思いつつも,これで免許をもらってしまってもいいのだろうか,と逆に心配になったりもした,

 

20分ぐらい後に試験場と同じ部屋で合格発表があり,モニターに合格者の受験番号がうつし出された.合格していた,ほっ.

 

モニターに番号をうつす直前に,試験官から,合格していても叫んだりガッツポーズをしないように,と重ね重ね言われていたが,前の席の人は大きな声で「うっしゃー!」と言いいながら拳を突き上げていた.

 

ちゃんと更新できるかな.

 


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橋のはなし

私の住んでいるところの近くには橋がある。橋と言っても下にあるのは道路だし何かいい雰囲気を伴っているわけではないのだが、私にとっては特別な眺めをもたらしてくれる。

 

この橋は両端が坂になっていて、どっちの方向に行くにも下って上ることになる。橋は住宅街を繋いでいて入口と出口の道路の両脇にはアパートやマンション、一軒家が並んでいる。

橋の出口に立っている少し高めのマンションたちが好きだ。クリーム色やピンク色の外壁からベランダが橋の方向に飛び出ており、橋からは大きめのカドケシが並んでいるようにみえる。夜にはその間から月がみえる。

 

この景色は不思議と説得力があるように思われて、自分が地球に住んでいるという事実を遠慮がちに提示してくれる。そして、私がたまたまこのような仕方で存在していることのたまたまさについて衝動的に考えるよう誘ってくれる。

 

今がたまたま哺乳類の全盛期であってもう何億年かしたら地球そのものがなくなるかもしれないとか、もしかしたら地球みたいな星は他にもあるかもしれない、いや地球だけかもしれないとか、こうしたことを考えている生き物が地球上にいることとか(例えば恐竜や他の地球上に存在する生物はこんなことを考えていないかもしれない)、自分自身を非常に大きなスケールに位置付けて認識してしまう(地球上の生物が地球の歴史や宇宙のことについてある程度知っていることがすでに奇跡的に感じられる、これはまったく必然的なことではないだろう!)。

すると、人間がこんなにたくさん家を建てて住んだり道路を敷いて歩いたりしているのがどこかおかしく感じられてくる。なんで一丁前に家なんか建てちゃってるんだろうか、それも木とかコンクリートなんか使っちゃって!

 

ビックバンってなんだろうとか、数ってなんだろうとか、言葉ってなんだろうとか、こころってなんだろうとか、なんで高々原子のあつまりのわたしたちが意識を持っているのかとか、どうしてこれらの問題を原子のあつまりにすぎないのに今まさに考えているんだろう、とか。人類がいなくなったり地球が大きな星の爆発にまきこまれたりしたら、これらの問題は全部うやむやになってしまうんだろうか。

 

誰かと誰かが結婚したり、人類が数を増やして繁栄したり、大谷が先発した日にホームランを打ったり、算術の不完全性が示されるなんてことがどうしてこの地球上で行われているんだろうか。そして、なんで私自身もこうした諸事実の一部になってしまっているんだろうか。

 

こういった具合にぽこぽこ「なんで?」が湧き出てくるわけだが、おそらくこのうちのほとんどは考えてもどうしようもないだろうし、普段からこれらの「なんで?」で頭をいっぱいにしていては何も手につかなくなってしまう。だけれど、この橋はたまに私を「なんで?」で埋めつくしてくれている。

 

 

こんなことは恥ずかしくて(なんで?)誰にも言えないので誰も見ていないようなブログに書くのがいいんだと最近気づきました。

 

 


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 夏のガチ名曲

友人のつくり方

私は4年の夏まで大学のバドミントン部に属していた。先日ついに追い出しコンパを終え、正真正銘部活を引退した。いまでも、ときどき部活同期とLINEで会話する。それは当然といえば当然かもしれないが、会話するたびに、もはや同じコミュニティに属しているわけでもないのに交友が続いている事実に少し感動してしまう。

 

 

さて、今回のブログでは、私のバドミントン部内での人間関係から4年間を振り返ろうと思う。私の大学生活、とりわけバドミントン部在籍期間を通した精神的な成長は、バドミントン部員Xとの関係性の進展とおおよそ符合する。

 

Xは同期の部員であり、1,2年の頃はそれほど喋る仲ではなかったように思う。私とXとは通学に使う鉄道路線が同じだったため、半年に1回ほど、部活終わりに乗り換え駅で鉢合わせて一緒に帰ることがあった。しかし、私は出来る限り鉢合わせないように乗車位置を入念に選んでいた。これは、別に私がXを嫌っていた訳ではなく、単に最寄り駅までの30分間自分が会話を持たせられる自信がなく、気まずくなることを恐れたことが原因である。

そんな3年のある日の練習後、偶然Xと一緒に帰ることがあった。その日、最寄り駅まで20分ほどを残して、会話が途絶えてしまった。これはまずいと思った私は内心かなり焦ったが、Xの方をみると、非常にリラックスした様子で、さらに言うと途中からうとうとし始めた。私ははじめ、なぜそんなにリラックスできるのかと疑問に思ったが、Xに気を遣われていないと感じたことでこちらまでリラックスしてきた。なるほど、無理に気を遣わないことで双方がリラックス出来る空間をつくるという手法をXは取っているのだ。そのようなマインドセットで自分と接してくれたXに私は尊敬の念をいだいた。

それからは次第に仲良くなり、ときどきお互いに誘って帰るようになる。

 

時は過ぎ、3年の秋にはこのようなことがあった。部活同期全員での飲み会で、偶然静かなメンバーが多いテーブルに私とXはいた。気まずくならないように喋ってテーブルの会話を回そうとしている私や別の同期に対して、Xは「喋って場を回そうとしてくれて尊敬する」というようなニュアンスのことを(真摯な様子で)言った。この発言は、「場は活発な会話によって盛り上がるのが当然」という考え方ではなく、「別に会話が生じなくてもそれはそれでいい」という考え方に基づいているように感じられた。その考え方の存在は私には衝撃であったとともに、感動でもあった。

そこで、私は次のように考え方を変えることになる。すなわち、ふたり以上の人間がいるとき、「喋って盛り上がっている状態が標準としてあり、会話がない状態は標準に対する負の状態である」のではなく、「各々がリラックスした会話のない状態が標準としてあり、会話が発生して盛り上がっている状態は標準に対する正の状態である」と捉えるようになったのだ。この思考の転換により、今まで「気まずい」として不快に感じていた状況を肯定できるようになって、心持ちが非常に楽になった。このことは今でもXに感謝している。

 

なお、その飲み会を経験してからは、ますますXと一緒にいることが心地よく感じられるようになり、Xと部活から帰ることが格段に増えた。そして、4年時の新歓号(新歓に際して作成される冊子で、各部員が寄稿する)ではXからついに「親友」の称号を得るに至る。

 

 

Xとの親交から学んだものは多く、これも私がバドミントン部に在籍したことで得られた財産のひとつだと思っている。

 

 


OGRE YOU ASSHOLE - さわれないのに | me and your shadow (Official Music Video)

20XX年、ある夜のこと

X「最近聞いてちょっと面白かったのが、高校のとき数研のAとかBとかCとかDとかって放課後その人たちでどっかの教室に集まってトランプか何かやってたの、割と毎日。だからそのグループで割とずっとつるんでた感じ。だったんだけど、全員東大に入って、AとBは医学部、で多分CとDが数学科なのよ。だから、今となっては、普通に普段受けてる授業の建物とかも違うんだけど、今でも経済学部の1階のホールで毎日一緒にトランプやってるらしくて、それが面白いなって。」

 

Y「それなんかさ、もう30年くらい寝かせてさ、こうすごい立派になったときに、もっかい聞きたい話だね。」

 

X「あの人たちが、この同じ空間に!?みたいなね。」

 

Y「だってさ、東大医学部2人とさ、東大の数学科2人でしょ?将来的にさ、そこそこの重鎮になる可能性あるじゃん。だって頭いいでしょ彼ら。」

 

X「そう、普通に何とかオリンピックとか出てる人たちだからね。」

 

Y「いや期待だね。それでさ、なんか誰か1人ノーベル賞とか獲ってさ、それでもまだやっててほしいよね。」

 

X「それ、なんかあれだね、その、最終的に1人2人と死んでいって、「もうスピードしか出来なくなりましたね」みたいな。」

 

Y「泣けるやつだ。」

 

X「そうそう。」

 

Y「でそのもうちょい手前で、やっててほしいのは、やっぱ忙しくなるから週1とかになってくるのだんだん。トランプのバトルは。で、ノーベル賞の授賞式で、後のレセプションパーティーとかあって、色々。なんだけど、「あれ、じゃあもう今日泊まって行かれるんですか?」みたいな会話があって、「いや、明日トランプなんで」みたいな、この。「僕はいつもの仲間とポーカーをしなければならないので」。で、相手が、「ん?ポーカー?」「では」みたいな。」

 

X「なんか、もう、かっこいいねそれ。」

 

Y「で、そうね、3人になったらなったで、なんかプログラム組んで、やらせて、その、手を学習させて、で最終的に1対3になっちゃう訳じゃん、やっぱ。3AIプラス人1人。で、1週間くらいバーってやって、で、勝ったり負けたりするんだけど、このなんかさ、「よし!俺の勝ち越しだ!どうだ!どうだ!」とかやってるのに、パラって落ちて、「ダメだ……やっぱ面白くねえや」」

 

X「「やっぱ面白くねえや、本物のお前らがいねえと」」

 

Y「そう。」

 

X「あるいはその別パターンで、その4人のうちの1人だけ、ちょっと他の人たちより早めに、50あたりで亡くなって、それで、そいつの名前を仮に太郎だとすると、その太郎役のAIを作るわけじゃん。」

 

Y「笑。今普通にさ、知り合いの死をさ、笑。」

 

X「だから気を遣ってさ、俺今太郎にしたの笑。そう、今殺しちゃってるけど。」

 

Y「そう、ちゃんと知ってるなーと思って笑。Aくんとか分かるなと思って。」

 

X「で、まあ仮に太郎だとすると、まあさっきの話の通り、そいつのAIを3人は作る訳よ。」

 

Y「作るね。作れるだろうしね。」

 

X「で、3対AI1で、まあその、やってくようになるんだけど、そのうち、その3人は残りの太郎のAIをどんどん、改良というか、残り3人も強くなっていくから、それに合わせて、「あの太郎が生きていたら、こうやって成長していくだろう」みたいな感じで改良を続けていって、それで、それが乗じて、最終的にポーカーの最強AIみたいな感じの、「TAROU」みたいな感じのやつになって、それで、「この名前ってちなみになんでTAROUって名前なんですか?」みたいな感じになって、「昔いたんですよ、仲間がもう1人」みたいな。」

 

Y「それ回想始まるじゃん。てか絶対その漫画さ、第1話そこから始まるじゃん。20XX年、授賞式とかでさ。そのお披露目式かな。「我々は新しいAIを開発しました」「おぉ〜」。で外国の人がさ、「その名前の由来は?」って聞いてきて、「昔いたんです」って言って、でそれで、ホァンホァンホァンって。2008年で、高1とかぐらいで始まるやつでしょ。」

 

X「で、まだ若い頃のあいつらが、ポーカーしてるみたいな。」

 

Y「ワー!とか言いながらやってんの。泣けるわ。あとは何だろうな、墓参りとかはちゃんとするだろうな。やっぱお供えするのよ。で、墓の前で2人でスピードの相手役もやりながら、やるとかね。でもやっぱこう、美しいかな。プログラミングをどんどん組んでって、最後の1人が死ぬ前に、自分の手も組んで、もう4人のポーカーが永遠に続くの。」

 

X「それでなんか、世界が滅びた後の世界みたいな。」

 

Y「でその、電子のみでやる。永遠に戦ってんの。」

 

X「そのルートね。ちょっとSF系のやつだと確かにそうなるね。それでなんか別の生命体が笑。」

 

Y「「なんだこれは」みたいな。」

 

X「かなり今までのと毛並み違うけど。」

 

Y「なんか4000年後くらいの、人類に似た生命体が、地球にやってきて、「なんだ、なんか動いてるぞ、これは昔の地球人が作ったネットワークか?」って探してたら「まだ動いてるプログラミングがある!」。でそれは要は4000年経ってるから、動いてるはずが無いんだけど、やっぱ4人の天才だから、やったのは。「でもそんなはずは……」みたいに言う訳。「どんな技術を使ったんだ?」。確実に続いてるんだ、勝負は。でもそれはもう明かされない訳。」

 

X「そのマジで、オーパーツみたいな、ありえないレベルの精密さというかね。」

 

Y「でなんか、その4人のポーカーの、ポーカーか分かんないけど笑。トランプの際に、例えば、「ペン剣」とかいう名前で、こうプログラミングに名前つけてる訳。その、4人が出会ったのが開成だから。で、それを未来人が解析して、またそのゲームがその未来の世界で始まるの。それは「ペン剣」って呼ばれてるの。」

 

X「「このペン剣って何なんだろう」みたいな。その世界の中で子供とお母さんがそのペン剣で遊んでて、子供が「ペン剣ってなんでペン剣って言うの?」って聞いたら、「なんでなんだろうね」。で、分からずに、昔に戻る、みたいな。回想シーンになって。」


Y「っていうのもあるし、これがもうそのまま最終話だとしたら、ペン剣の世界大会。60XX年。のところに、4人とそっくりな4人がいる。で、これから勝負だってなるんだけど、「なんか初めて会った気がしませんね」みたいな。」


X「あるね。あとなんだろうな、なんかやっぱり、プログラミングは4人とも出来るんだけど、そのうちの1人2人は大人になったときに医者になってるから。で例えばノーベル賞獲ってる人とか、あるいは最強プログラムを作る人ってのは多分数学の道を続けた人なんだよ。で、医者の人はある程度趣味とかでプログラミングは続けるかもしれないけど、第一線というか、計算科学的な、アカデミックな道の第一線からは退いてて、だからその受賞会見みたいなのをテレビで見て、「あいつもあんな遠くまで行っちまったのかな」みたいな。」


Y「あるね。」


X「でも、ちょっと悲しい気分になったところに、受賞直後のその会見で「ポーカーがあるんで」みたいに言われて、呼ばれて、「やっぱこの4人だな」みたいな。」


Y「それもいいし、それか、会見はもう終わるの。で、「ああ、あいつももう立派になったもんだよ」って言うんだけど、突然電話がかかってきて、「おいまだログインしねえのかよ。もう試合の時間だぞ」」


X「もう当然のようにね。当然のように俺らは仲間だろっていうね。」


Y「「3人とも待ってんだから、お前1人だけ勝ち数多いからってこのまま逃げんのはずるいぞ」って。「今日も俺が勝つっての」」


X「すごい沢山出るな。これ。」


Y「あともう一個あります。まあやっぱバランス的には、プログラミングで世界的な数学の1人が、企業を立ち上げるでもいいし、とんでもない発明する訳。もう1人は、フィールズ賞とか獲んの。もう1人は生理学賞とか、医学の道ね。3人ともアカデミックな世界に行くんだけど、1人は普通のお医者さん。臨床医。だから、3人と比べるとやっぱ科学のレベルではちょっと劣るというか、そこになんか負い目もあるんだよ。で、ある時1人が倒れちゃって、脳のなんかとか。で手術を担当することになって、「まだ死なせねえからな」。で、これもおんなじよ、要は。「お前にまだあと1回勝たないと負けちまうんだ」って言って、「メス」って言ってやるやつ。」


X「その系統でいくと、4人のうちの誰かが倒れたでいくと、4人でポーカーかなんかやってる途中に、誰か1人が倒れて、それで、実際そんなことが起こりうるのか分かんないけど、結果的にそのお医者さんをやってた人が執刀することになって、実はその倒れる直前、倒れるやつがもうほぼこれを出せば勝てるみたいな感じの瞬間でそいつが倒れちゃうんだけど、でそいつが手術して、手術が終わった後に、無事成功して、倒れてあと少しで勝ちそうだったやつが、「スペードの4」みたいな感じで言って、「負けたよ、お前には」みたいな感じの。」


Y「目開けた瞬間ね。「なんだ!?」って周りを見渡して、状況を把握して、ニヤっと笑って言うんだよね。」


X「「まだゲームは続きだろ?」みたいな。」


Y「かっけー。「今回も俺の勝ちだな」」


X「「俺が助けてやったってのに」」


Y「いやあ。熱いわ。この話どこで読めるんだっけ。」


X「これ元ネタなんなの。」


Y「絶対あるんだけどね。これっていうのが出てこないんだよね。」

 

 


スピッツ / 放浪カモメはどこまでも

四月

学校が始まった。もう始まって二週間近く経つ。食堂の好きなメニューが残っていて安心した。変わらない生活が送れそうである。この手のものは突然いなくなってしまうことがしばしばある。

 

私はいつまで学校に通うんだろうか。ただ学校に通えることはとてもありがたいことで、本当にありがたいことで、通っていないと不安になるような気もしている。

 

実のところ、休みの間は旅行がしたかった。少し落ち着いたところに滞在してみたかったのだが、意外と余裕がなかった。また今度にしよう。

 

最近全く旅行をしていない。多分直近のものは去年の秋に長野の森であったレイブパーティーに行ったやつだ。電車を間違えて23時くらいに現地に着いて一応一晩中起きて、

そのまま昼くらいには帰った。

 

結局行きの新幹線でサッポロ黒ラベルを飲みながら本を読んでたのが一番楽しかった。

 

また新幹線に乗りたい。

 


Bloodthirsty Butchers - April

ラーメン用心棒本号春の俳句祭を振り返る

去る令和2年3月23日から同31日にかけて、Twitter上にてラーメン用心棒本号主催の俳句大会『春の俳句祭』が開催された。ラーメン用心棒と言えばいわゆる二郎系のラーメン店で、都内にいくつか店舗を構えているが、そのうちの本号は東京大学弥生キャンパス(本郷キャンパスの隣)の目の前にある。今回の大会は、用心棒と春にまつわる句をTwitter上で募り、上位10作に選ばれた作者にはラーメンかまぜそばの好きな方が副賞として与えられるというものであった。

副賞の存在もあってか応募は盛んに行われ、最終日だけで9句が出されるなど、公開アカウントによる投稿だけで合計30名46句を数えた。

当稿ではその中から特筆すべき句を紹介し、春の俳句祭がどのような大会だったかざっくりと伝えたい。(アカウント名は令和2年4月12日時点のもの)

 

 

 

  • ラメーンんゴリゴリのナンすすりたい /たく

今大会を語る上で欠かせないのがこの怪句である。何度も意味を理解しようと試みたが、全く意味が分からない。今大会は用心棒にまつわる句を募集しているのに、ナンはどこから出てきたのか?あのインドカレーのナンか?仮にそうだとして、ゴリゴリのナンと形容できるナンがこの世に存在するのか?ナンをすするとは?1つとして分からない。

そもそも、Twitterという推敲の容易な、そしていざとなれば投稿し直せるフォーマットであるのにも関わらず、「ラメーンん」という崩壊している文字列は何なんだ。

 

また、この句についてはとある疑惑が立っている。まず次の句を見て頂きたい。

桜咲きガリマヨマシマシすすりたい /rin

これはたく氏の句の2時間半前に投稿された句(rin氏の句が全応募のなかで最初の投稿で、たく氏の句が2番目の投稿)であるが、完全に下五が一致している。「すすりたい」なんてのはなかなか短時間の間にかぶりが出る文言ではない。たく氏がrin氏の句からパクったことも考えられる。(パクってはいないと信じているが。)

ただ、ここで疑問となるのは、仮にパクりがあったとしても、「すすりたい」はパクるほどの魅力のある言句ではないということだ。普通であれば、パクるにせよもう少しパンチラインらしい部分をパクるのではないだろうか。しかしこの句を詠んだのはたく氏。我々の常識は通じない。

 

 

 

トッピングの大盛りを指す「マシ」のみで構成されたこの句。6・8・6という音数もあってか、ボリューミーな印象を受ける。器からはみ出るほどの大盛りを表すための字余りだろうか。ここで、同じツイートに付されたタグを見てみる。

#マシの文字で散る桜の葉をイメージ

違った。というか同じツイート内で解説を書くのは普通にやめた方がよくないか。自分の表現に矜恃を持ってくれ。

 

 

 

  • ガーリックベジタブルオイルソイソース /ゲコ太@うちゅう

外来語オンリーという見た目に圧倒される。発音してみても、濁音が多く、重量感のある響きとなっている。豪快な句。そう言えば春要素はどこに行った。

 

 

 

  • 桜散る油も散る汗ほとばしる /びしゃんころーりー

動詞の終止形が3つ連続することで、歯切れが良く、リズムを感じさせる。また、「散る」という動詞により結ばれた桜と油、液体という共通項により結ばれた油と汗という連関性も面白い。

しかし、少々気になる点がある。この句の1分前にびしゃんころーりー氏はもう1句投稿しているのだが、その句のことだ。

桜散る俺は油と汁すする /びしゃんころーりー

そう、ほぼ一緒なのである。というか思いついた句を厳選せず片っ端から投稿しているのではないか?そもそもびしゃんころーりー氏は1人で合計9句投稿している。執念がすごい。

 

 

 

  • ニンニクで人も病気も追っ払え! /とともす

「!」って入れちゃうのが可愛い。

 

 

 

  • 花見前……っ関係ねえよ!!「全マシで!!!」 /びしゃんころーりー

再びびしゃんころーりー氏。締め切りの40分前にもすかさず最後の1句を滑り込ませた。この句では「!」はただ挿入されているだけではなく、2つや3つ連ねられ、強調されている。また、「…」や「っ」からも躍動する感情が伝わってきて、入賞を希求する思いが滲み出ている。一体その情熱はどこから来るんだ。

 

 

 

以上のような句が印象的であり、今大会を象徴していたように思われる。今回紹介しきれなかった秀句も多くあった。次回の開催も期待したい。

SNAKED

カーテンを開ける前に鏡をみる.今日は雨だ.

 

傘を持って学校に向かう途中,ともだちに会う.足取りを揃えながら少しずつ会話をする.

 

「今日は何となく雨かなって思ってる」

「降らなくても別に傘は持っててもいいからね」

 

クラスで飼っている蛇と亀を戦わせたらどっちが勝つか話していると,コンクリートむき出しの校舎が見えてくる.

 

「別にマングースじゃないんだから」

 

ところどころ錆びたロッカーが湿気の中で金属の匂いを漂わせていた,冷たいようであたたかい空気が気持ちを高ぶらせないように.

 

「戦わなくてもいいじゃない」

 

雨の日にはホームルームが無いのが自分の学校のいいところだとつくづく感謝しているけれど,今日はあいにくまだ雨が降っていない.ホームルームで先生は明日から新しい転校生がくると発表した.

 

昼休みはまだだけれどお腹が空いてしまったので自販機でコーヒーを買う.コーヒーを飲んでもあんりお腹が満たされないことには飲んでからしか気付けない.

 

放課後に教室で飼っていた蛇が逃げ出した.案外機敏な動きができるものだと感心してしまった.みんな血眼になって探していたけれどその日には見つからなかった.

 

カーテンを開ける前に鏡をみる.今日も雨だ.

 

学校では蛇の抜け殻が落ちていたと騒ぎになっていた.教卓の上にある抜け殻はみんなに囲まれていてなんだか居心地が悪そうだった.

 

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