西垣ぽん太のブログ

みんなの日記

橋のはなし

私の住んでいるところの近くには橋がある。橋と言っても下にあるのは道路だし何かいい雰囲気を伴っているわけではないのだが、私にとっては特別な眺めをもたらしてくれる。

 

この橋は両端が坂になっていて、どっちの方向に行くにも下って上ることになる。橋は住宅街を繋いでいて入口と出口の道路の両脇にはアパートやマンション、一軒家が並んでいる。

橋の出口に立っている少し高めのマンションたちが好きだ。クリーム色やピンク色の外壁からベランダが橋の方向に飛び出ており、橋からは大きめのカドケシが並んでいるようにみえる。夜にはその間から月がみえる。

 

この景色は不思議と説得力があるように思われて、自分が地球に住んでいるという事実を遠慮がちに提示してくれる。そして、私がたまたまこのような仕方で存在していることのたまたまさについて衝動的に考えるよう誘ってくれる。

 

今がたまたま哺乳類の全盛期であってもう何億年かしたら地球そのものがなくなるかもしれないとか、もしかしたら地球みたいな星は他にもあるかもしれない、いや地球だけかもしれないとか、こうしたことを考えている生き物が地球上にいることとか(例えば恐竜や他の地球上に存在する生物はこんなことを考えていないかもしれない)、自分自身を非常に大きなスケールに位置付けて認識してしまう(地球上の生物が地球の歴史や宇宙のことについてある程度知っていることがすでに奇跡的に感じられる、これはまったく必然的なことではないだろう!)。

すると、人間がこんなにたくさん家を建てて住んだり道路を敷いて歩いたりしているのがどこかおかしく感じられてくる。なんで一丁前に家なんか建てちゃってるんだろうか、それも木とかコンクリートなんか使っちゃって!

 

ビックバンってなんだろうとか、数ってなんだろうとか、言葉ってなんだろうとか、こころってなんだろうとか、なんで高々原子のあつまりのわたしたちが意識を持っているのかとか、どうしてこれらの問題を原子のあつまりにすぎないのに今まさに考えているんだろう、とか。人類がいなくなったり地球が大きな星の爆発にまきこまれたりしたら、これらの問題は全部うやむやになってしまうんだろうか。

 

誰かと誰かが結婚したり、人類が数を増やして繁栄したり、大谷が先発した日にホームランを打ったり、算術の不完全性が示されるなんてことがどうしてこの地球上で行われているんだろうか。そして、なんで私自身もこうした諸事実の一部になってしまっているんだろうか。

 

こういった具合にぽこぽこ「なんで?」が湧き出てくるわけだが、おそらくこのうちのほとんどは考えてもどうしようもないだろうし、普段からこれらの「なんで?」で頭をいっぱいにしていては何も手につかなくなってしまう。だけれど、この橋はたまに私を「なんで?」で埋めつくしてくれている。

 

 

こんなことは恥ずかしくて(なんで?)誰にも言えないので誰も見ていないようなブログに書くのがいいんだと最近気づきました。

 

 


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